みなιリ - マソ日記乙

怖い夢見て泣いてたの だいじょうぶ全て夢 ここは

4n前を振り返る

  • id:hamtaroさんに見習って、自分も振返ってみる。
  • 1996年4月、M2。Dに進学することは決めていたので、JJAPに投稿する論文を書き始めた年。スペクトルをコピーして切り張りしていた時代。今も付き合いのある友達もDに進学を決めていた。バリバリの結晶成長屋さんだった。
  • 2000年4月、学位は無事取得したものの就職は決まらず。運よく、PDとして研究室に残れた。20代後半、行き先を楽観していたことは否めず。
  • 2004年4月、PDとして某大学へ赴任。任期は2年。研究分野は全く未知の世界。そして、通勤時間は片道2時間半強。すべてにおいて、やっていけるか不安だが、やるしかなかった。あっという間に任期がやってきた。非常勤講師も経験した。1コマ週2回、予習が大変だった。自分が人前で授業をやるとは夢にも思わなかった。
  • 2008年4月、1度ずっこけたが、なんとか転職できて、期限付き社員として15か月が経過。接客業が楽しくなってきた頃。
  • 2012年4月、正社員になれて2年が経過。接客業も少しは様になっているかもしれないが、研究はあっちにいってしまった。研究を取り戻せるかは自分次第。
  • 結果論でいけば、PDにしがみついていたおかげで、今の職に就けた。途中で諦めていたら、今の職には就けなかった。PD期間が順風満帆だったわけでもなく、得たものと失ったもののどちらが多いかといえば、失ったものの方が多い。それでもPDで経験したことは、今後も役に立つはず、はず、はず・・・。PD期間中、楽しかったことは不幸中の幸い。
    • ターニングポイントは2007年。運も実力の内っていえるのも結果論。
    • 普通に就職した人より、色々な事を含めて10年は遅れていると思う。それもすべて自分の力不足が招いたこと。それは後悔していない。後悔するくらいなら、最初からDへ進学はしなかっただろう。(虚勢)
  • 足の裏に付いた米粒の世界って何だろうと思っていた若かりし学部生の頃。その世界は、今の現実。